この本を買ったのはいつだっただろうか、いつもは奥付に購入年月日を記入するのだが記入がない。文庫本発行がS57(1982)だから回転率のことを考えても1983〜1984頃に購入したものだと思う。当時は確か単に読み物として読んだだけであったような記憶がある。自分で毎日作るようになってから、季節の野菜に対応した料理を..と考えはじめた頃にひょんなことから本棚から出てきて、パラパラめくってからのめり込むように読みふけったのが、この本とのまともな出会いなのだろう。
社会人になってからはいわゆる文芸物の小説には興味がなく、水上勉なる作家は私の興味の対象にはなかった。だから何故この本を手にとったのかは不明である。
きっかけはどうでもよい。巷にあふれんばかりのカラフルな料理に関する本・雑誌に比べてこの本は非常に地味なつくりである。写真は陰影がやや強いモノクロ写真がパラパラとあり、後は全て文章。昨今の料理の本は撮影中に味が変化するのでは? と思われるほどの光量を料理にあててまぶしいばかりの料理写真であふれるているものとは対象的だ。見てくれではない本物がこの本にはある。この文庫に詰まった文章のすごさによって、ただただ溢れる唾を溜めつつ料理をここまで表現できる作家能力を堪能するばかりである。
これというのも少年の頃禅寺で精進料理をつくり、かつ本を書いた時点でも自分で野菜達を作り料理を作り続けている作家だけのもつ特権であろう。うまい、おいしいなどの当たり前の表現を使っていないにも関わらず、読み進めてゆくうちにたまらなく作りたくなる。料理を知っている作家が書くとこうなるのか、とプロとしての才能のすごさを再認識せざるを得ない。
この本の料理で私がはじめてつくったのは多分「九月の章」にある「しめじめし」だと思う。1990年からのレシピを一時期ロータス1・2・3に記録していたことがあるが、当時のメニューにその旨の記載がある。作り方は簡単で「めし」(と筆者がいうと妙に味わいがある)を丼鉢に入れて、蒸し器で蒸し、暑くなった頃に、よく洗って二〜三にわったしめじを「めし」の上にのせ、しめじがよく蒸れた頃合いに醤油をふりかけて食するだけのものだ。シンプルだが美味しい。できることならば「紫しめじ」でこれを作って食べてみたい。いつか山菜を主体とする山間のペンションにいって所望してみたい、などという夢をもっている。さてこうやって作り方を自分の言葉で書いていると、著者が書いているような文章には遠く及ばないことにますます思い至る。
今はっきり思い出したが、梅干しもこの本の「六月の章」をみて無性に作りたく、よい梅を手にいれるチャンスをずっと待っていたのであった。
この本の「十一月の章」に本日(96/10/23)作成した栗飯がのっていて、栗飯を作る時はこの方法で作ろうと固く決意(笑)していたのがようやく本日かなった。栗めしの作りかたを一部引用する。
もちろん、旬だから栗めしもつくる。私の栗めしは、少ししぶ皮を、のこして炊くのがコツだ。家内など栗のしぶ皮はていねいにむくのをよしとして、包丁でまるで着物をはぐように厚くむくが、どういうわけか、私は、つるりとむくのがきらいである。柿でもむくみたいに、実を大きくけずりとると、折角のカサが半分ほどになる。ケチなようかもしれぬが、包丁の刃をたてて、ケリケリと手間にかきよせてしぶ皮だけけずるのだ。それをよく水につけてから、ごはんに入れる。これは邪道かもしれぬが、しぶ皮を少しのこったのが味をよくする。炊きあがっためしの色がこころもち色づくのもいい。しぶはそれで、めしぜんたいに、山の香をまぶして、得もいえぬことになる。精進の極意は季節を喰うところにあるから、新栗のそういうめしへのまぶし方は、道にかなったものかと思うが、読者はわらうだろうか。(Page.193より引用)
少し引用が長いかもしれないが、この文章を読むだけで必ずこの方法で作って食べてみないことにはおさまらない、と感じるのは私だけではないと思う。
私のお弁当はどちらかというと和風にできているが、この水上さんの影響も強いと思っている。
先ほど引用の際にもう一度パラパラ読んでみた。最後の解説に目が止まった。解説は丸元淑生とある。昭和57年(1982)7月に書かれている。私が持っている一番古い丸元さんの「丸元淑生のシステム料理学 」(1982/6/25発行)とほぼ同時期である。編集者の慧眼と今はじめてしったこの巡り合わせに軽い感動を覚える。