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スキー'97 Part2

作成: 1997/01/11

白馬周辺 -八方尾根&五竜とおみ(97/1/3〜97/1/5)

八方尾根は4シーズン前の'94に初めて行った。家内の実家桑名の義姉から「知り合いが正月にスキー宿確保していたんだけど人数が集まらないから参加しないか」という電話があり、それにホイホイのったのが始まりだった。それまで正月は仙台の実家に帰るのが恒例だったのだが、仙台に帰ってしまうとどっしり根が生えて蔵王とか地方のゲレンデに行くのが億劫になる。それに帰省だけで2日もロスしてしまう。ちょっとしんどいなーと思っていた所だったので実家に帰るのは夏だけにさせてもらって、その代わり子供達は春休みとかに実家に向けることとし、正月は3人でスキーで遊ぶことにした。

その義姉の知り合いはお寿司屋さんで一平さんという。彼のワゴンタイプの四駆(車にはうといので車種不明)に我が家三人ともう一人中学生計五人で大晦日夜に出発、1994元旦に到着したのが白馬エコーランドの「カルナージュ」というペンションだった。カルナージュのラウンジで一平さんのお店のネタで作ってきたおかずを広げての朝食は格別だった。前日まで生け簀で泳いでいた寿司用の海老(原価一匹500円)、本物の手作りダシ巻き卵、義姉に作ってもらったおにぎり..etc。味にうるさい我が家の子供達も無条件でぱくついた。八方、カルナージュというとその朝の味の記憶を伴って今でも思い起こされる。

八方尾根初日は今までの春のような快晴がうって変わって本来の冬らしく雪が降り始めた。八方のゴンドラにたどり着くのは渋滞で遅くなるので、第3駐車場から降りて名木山トリプル、八方リーゼントクワッドを使って兎平駅まで登る。リフトに乗っていると寒い。雪がみるみる膝に積もってくる。取りあえずパノラマゲレンデで滑るもガスがひどく視界が悪い。早めの昼食をサンテラスぱのらまで取り、リーゼントスラロームを下って名木山まで降りてみた。下の方は雪は降っているがガスはかかっていなかったので、名木山、白樺、国際と横に移りながら滑った。

翌日は五竜とおみにいってみることとした。47(フォーティセブン)には何回も行っていたが、五竜にはいっていなかったので、行ってみようとなった。なんといってもペンションのすぐ前からシャトルバスが出ており、満員の八方行きシャトルパスと違ってすいていたのも理由の一つだ。この日は晴れ。が寒い。ゲレンデは午前中-10℃だった。デジタルカメラの発色が悪い。サンアルピナでは各自バラバラに滑っていることが多かった為に結局全員が揃っての撮影がほとんどできなかったが、ここでは逆に寒さの為の不調で写真が取れなかった。それにやはりいちいち取り出しすのは面倒だ。スキー出発前にデジタルカメラのメモリーカード(2MB)を一枚余分に持っていって、640x480dot 30コマx2の60コマ分確保しようとした。その買い物の時に淳思と一緒に行ったのだが、「お父さんどうせそんなに撮影しないからいらないよ」といわれる始末。以前ビデオカメラを持っていって滑りながら撮影しようとしたのだが、結局ちょっと撮影しただけで後は滑りに専念したいたことをちゃんと彼は覚えているのだった。メモリーカードは結局在庫なし、ということで30コマ分しか今回は撮影できない。戻ってきてみると15コマしか撮っていない。淳思が正しかった訳だ。

話を元に戻して、五竜にはいいもり地区から入った。ソフトクリームコースからパスダースノーコースを一通り滑り、テレキャビンで頂上まで。頂上で47へと抜けることが可能だが、47のLineE高速ペアリフトは強風の為運転中止。一度そちらにいったらこっちには戻れないので、アルプス平ゲレンデで滑る。が上まで来るとガスと雪。聡思がいやがりだしたのと、淳思がコスモリバーを滑りたいというので下に降りることとした。下は晴れているので、各自自由行動をとることとする。私の無線の調子が悪いので私は聡思と一緒に行動する。無線での連絡に慣れていると無線が使えなくなってのバラバラの行動はちょっと恐い。聡思に「いろいろ回ってみよう」とコスモリバーへ通じるリフトにのるも、途中のコブを見て彼はいやがりだした。迂回コースもあるので大丈夫となだめながら、上に着き、カリカリのアイスバーンを下りながら迂回コースとの分岐点にきて、「じゃお父さんはこっちいくらか」というと、「チャレンジしてみる」とついてきた。私が選択したコースはリフト沿いの新雪の急斜面。コブもできている。上級者コースだ。聡思は昨年までは考えられないこんなコースもなんとか降りることができた。がその後はパス。彼はパウダースノーコースで滑る方を選択した。私は数回そのバーンに挑戦したが、新雪でのテクニックがないことと、急斜面のコブをまわりきるだけの実力がないので、テレキャビンで再度中級者用のアルプス平へと向かった。

淳思は昨年まではショートスキーとスノーボード。スノーボードはどうも好きになれないらしく、今年は普通のスキーでコブをせめるんだとモーグル用の板を購入して張り切って望んだのだが、ショートスキーとロングスキーでは勝手が違う。ショートスキーでガンガン飛ばしていた上級者用コブのバーンが滑れずにもどかしがっていた。ショートスキーできっちりポジショニングできているのでロングでも大丈夫だろうと考えていたのだが、完全な後傾姿勢。スキーを制御できていない(人のことはいえないが)。今年の彼の課題だろう。

朝の予定では47に渡ってルート1を滑ろうと考えていた。ルート1は斜度は中級者用でちょうどいいのだが、コース幅が狭いこととボーダーがいるのでやめとこうということになった。

白馬最終日は天気が晴れたこともあって再度八方尾根へ。午前しか滑れない。初日と同様のルートで兎平に渡り、初日聡思の希望があったが滑れなかったパノラマ林間コースを滑る。途中雪がない。仕方ないので再度あがりパノラマコースでしばらく滑った後、兎平に連れてゆく。コブがある有名なバーンではなく、ペアリフトの右手にある圧雪されたバーンの方。斜度は結構あると思う。うさぎ平は平均23度、最大31度とあるから、このバーンは多分25〜28度位だろう。圧雪されているのと人が少ないので大まわりでまわると爽快だ。子供達も一発で気に入って何回も滑った。最後は晴れたリーゼントスラロームコースをすべり降りて時間が許すギリギリまでを名木山第3トリプルリフト左のバーンで滑った後、第3駐車場11:50発のシャトルバスに乗り込んだ。

帰りのパッキング、子供達の用具を宅急便で送るためのパッキングを済ませ、カルナージュで遅めの昼食を取る。淳思はここの食事が大好きだ。今回も2人分食べる。聡思もピザが美味しいというのでさらにもう一枚追加注文。よくくう奴等だ。私はもう既に普通の一人前で十分な歳になってしまった。悲しい。

行きはサンアルピナのパックバスで来たが、帰りの日にちを動かすのはできない、といわれ帰りのバスは放棄。当然バス代は戻ってこない。帰りはJRで帰ることとした。名古屋で子供達と別れ、子供達は家内の実家の桑名へ、私はそのまま広島まで新幹線でというパターンなので時間がキッチリしているJRの方が安心なこともある。昨シーズンは夜行で広島までゆく予定を立てて名古屋での接続を2時間確保したのだが、バスの遅れること、ギリギリセーフだった苦い経験があったからだ。


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Contents copyright 1997 Mitsuo Sugawara